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ウィーン生活7年の思い出(1995.8-2003.3)

 本記事は筆者がIAEAに勤務した7年半の公私にわたる思い出を随筆風に綴ったものである。「職場の選択肢」としてIAEAを考える方の参考にと考えたのが書き始めたきっかけだった。時期的にはやや遡るが、今でも参考になる点は少なくないと思うので搭載する事にした。

 日本で某メーカーから高速炉エンジニアリング(株)に出向中だった1994年、高速原型炉「もんじゅ」が臨界を達成した。私の主要業務対象であったその「もんじゅ」は性能試験段階に移り、零出力での炉物理試験が終盤に入っていた。本格立ち上げの主体はメーカの手から離れており私は自分のそれからの新しい進路を考えていた。そんな折に「IAEA勤務」の可能性を勧められて気持が傾いた。幸い、それまでの英国・米国滞在経験もあって海外への違和感は持っていなかった。会社幹部や役所の支持も頂いて正式に応募したのが1995年の年明けだった。五月に面接のため渡墺し、一か月後に「採用通知」を受けて、出向先からの帰任、IAEA赴任と慌ただしい日を送った。多くの人が開いてくれた歓送会は今も心に鮮明である。頂いた餞別金は、現地国連ビルを描いて画展特選作品に選ばれた油絵となって今は自室の壁を飾っている。
 3年の予定だった。が、幾つかの要因で勤務は延び、結局は出身会社での定年を挟んで通算7年7ヶ月をウィーンで送ることになった。その間、公私で新しい経験を多く持った。そして2003年3月でIAEA勤務も終りを迎えた。
 本稿は個人の記録だが、個々の記事を配った読者から、読み物としても面白いとの評判を頂いた。「七年半の思い出」として親友知己への報告(土産)としたい。元来「書く」ことが苦手だった私にこれだけ書かせたのはそれを勧めてくれた会社のある先輩、「新しいことへの情熱」を持続させてくれたある旧友、私の原稿に「面白い」と言い続けてくれた家内のお陰である。深く感謝したい。

元IAEAエネルギー局 小西俊雄


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